2009年12月15日

卵かけごはんが好き。その2



卵かけごはんの醤油も最近はいっぱい発売されていますね。
試しに買ってみましたが、
甘めのめんつゆ、という印象。
独自の工夫はされているのでしょうけれど。
うちで作ってるだし醤油で十分かな。


ついでなので、だし醤油。わが家のレシピを。
『働くおうちの親子ごはん 朝ごはん編』
に載っているのと、ほとんど同じですけれどね。


だし醤油

醤油 300cc
みりん 350cc

花かつお 40g(ひとつかみ)
干ししいたけ 3個
昆布 15cm

1.小鍋の中に材料をすべて入れ、一晩おく。
2.鍋を中弱火にかけ、煮立ったら火を止める。粗熱がとれたところで、こしてビンに入れて冷蔵庫へ。

※残った干ししいたけや昆布は、炊き込みごはんなどにどうぞ。




だし醤油であれ、生醤油であれ、
薄めに味をつけてごはんと卵をざっくりと混ぜ、
上からまたかけるのがわたしは好き。
卵のまざり方といい、醤油のかかり方といい、
部分ぶぶんで味にムラがあるほうが好きなんです。

食感にムラがあるほうが好きだから、
裏ごしも基本は嫌い。
もちろん、柏餅はつぶ餡。
スイートポテトだって、粒があるほうが美味しいんです!




こういう食べものの話って、なんとも楽しいですよね。
いわば、ムダ話なんだけれど。

食べものの話題はいちばん無難、と言いますが、
無難なだけではない魅力が、あります。
なんとも幸せな感じがするというか。
いまどき、食べもので苦労するひとは幸いにして少ないから、
たいていの食べものの記憶は楽しさと繋がるのだろうと思います。

とはいっても、ものが少なかった時代、
戦後すぐの給食を食べていたおじさんやおばさんの昔話って
美味しくなかった、という思い出話でも
もっともっと、楽しそうに幸せそうに見えるのが
羨ましかったりもします。


3歳くらいのころのうっすらとした記憶。
祖母のうちでの光景です。
当時、祖母は数年前に祖父を亡くし、まだ学生の叔父を抱えて、
会社勤めをしていました。
朝、生卵をといて、ちょろっと醤油をかけて、
それをさーっと飲んで慌ただしく出かけていきました。
とにかく忙しい毎日のなかを、必死に暮らしていたんだろうな、
と尊敬の気持ちでときどき思い出します。



ついこないだは、駅前のパン屋でコーヒーを飲んでいたところ、
隣の席の70歳くらいのおばちゃんに話しかけられました。

「若いっていいわね。まだまだなんでもできるわね。
わたしがあなたくらいのころには、朝9時から夜の11時過ぎまで、
身体がこわばって動かなくなるくらいデスクにはりついて仕事をして。
気がついたら、こんな歳になっちゃった」と。

お父さんを早くに亡くし、お母さんと弟さんをを支えるために
結婚もせずに定年すぎまで働き続け、お母さんを看取ったそうです。
とても印象的だったのが、お父さんを病院で看取るまでのこと。
もう40年以上も前の話です。

お勤め先から残業ごはんついでにお見舞いしていたそうなのですが、
「病院のごはんがおいしくない」
というお父さんのために、ある日お蕎麦屋さんで持ち帰りをしたそう。
ところが、すっかり伸びてしまい、かえって怒られてしまった。
困ったけれど、やっぱりお蕎麦を届けてあげたい。
考えて、なんだ出前にすればいいんだ、と思いついたのですって。
もちろん、携帯なんてない時代だし、かといって
会社を出る前に、私用電話で注文をするなんてとんでもない。
自分でお蕎麦屋さんに立ち寄るわけです。
で、自転車で運んでもらい、自分は歩いて病院へ。
歩いて運ぶよりは、出前のほうがほんの少しでも早く着きますものね。
自分が病室に着く頃には、お父さんは出来立てのお蕎麦を食べている、と。
それを見ながらしばらく話をして、また残業に戻る、
という生活を続けていたそうなのです。


おばちゃんの話は全体的には辛いエピソードが多く、
人生って厳しいなあ、と下手な映画を見るよりも考えさせられたけど、
やっぱり、そのお蕎麦の話のときには、
ほんの少し、幸せそうな顔をしていたのです。
お父さんの最期を楽しく過ごせた、という美しい思い出なのだろうと思います。




ずいぶんと話がそれてしまいましたが。

その時々を彩る食べものの記憶を、
もっともっと積み重ねていけるよう、大切に一回ずつ作りたいな。
何十年か経ったとき、あのときには精いっぱい頑張っていたな、
と思いだせるような、真摯な生き方をしたいな。

とあらためて思っています。


posted by しょうこ at 00:00| Comment(0) | レシピ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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